11月25日−2(35年前の 三島由紀夫氏のことを思い起こして)

                 赤坂の学生道場の道場長時代。
              昭和45年11月25日の峯夫の日記(原文のまま)

 おヒル、車の中のニユ−スで、三島由紀夫氏が自衛隊に入って、幹部をかん禁したと聞いたが、よくわからないまま羽田から本部に帰ってみたら、真実は三島紀起夫氏が自衛隊に入って、総監をかん禁して、ビラを撒き、自衛隊員を前にして、バルコニ−で演説した後、切腹し、森田青年が介しゃくしたとの報道であった。僕は一瞬考へたことは、これが三島美学の極地であると思ったが、それだけではなく、三島氏の魂の中に、二、二、六事件の青年将校と同じ憂国の情があって、このやうなことをすることを起爆剤として、自衛隊や青年が立上ることを期待しての行動であったと考へられる。
 生長の家の學生の中にも三島氏と親交があり、尊敬してゐた者もゐるので、これらの學生たちが、個別行動をとる恐れもあるので、僕は極力、學生たちを集めて話しをした。みんなよくわかってくれたと思ふ。
 確かに今後、三島の後に続けと、続々と民族派の過激行動が起ることが予想される。それは當然のことである。今の占領憲法態勢のもとでは、民族派はどうにもこうにもやり切れないのである。
 三島氏の行動は、獨特の三島美學の極地であるとしても、その行動は、日本民族の先兵としての行動であり、日本民族の血潮の中には常に、このやうな精神が宿って、事に當って、それが表はれ出るのである。
 然し乍ら、生長の家の思想と行動には、自らこれら民族派の人たちとは違った生長の家としての行動様式といふものがあるのであり、決して、三島氏の行動と同じことをするものではないのである。暴力の否定といふことは大切な生長の家の御教へであるのである。
 夜は、學生道場では『生命の実相』学習會である。念によって人間の肉体はどうにでも創り変へることができる。肉体といふものは、念の創造した観念的存在であるからである。
 學習會のあと、學生諸君に對しては、三島氏の事件に對して、決して思ひつめた行動をとらないやうに、と申し渡した。學生たちはよくわかってくれた。